Category: Japanese
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KJS 日语单词背诵软件
去咖啡日语的人大概都知道这个软件的。说实话一开始弄了半天都不知道怎么用,但是一旦搞清楚了怎么操作,倒是十分方便的。很适合我这种懒人背单词 ^____^ 难得的是软件还是免费,所以在此大力推荐。 下载地址 使用帮助 去年忘记注册考日语一级(其实也没关系,以我现在的程度考得过才怪 :P),所以现在趁着有时间努力学习中…. 虽然每次都只是说说而已,努力一般也只能坚持两个星期左右,但起码说说以后对于放弃会多少有些内疚嘛……
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カッパ – 河童
从北海道到冲绳,沼泽边,河岸上都出现过河童的踪迹。又有些传说里,他们其实是古代的人,或是外星人。 河童身高不到一米,长得一半像孩童,一半像青蛙。背上背了个乌龟的大壳,皮肤粘粘的,发着青黑色的亮光。手指和脚趾间都有蹼,用来在水里游泳。短短的娃娃头上有个碗状的凹形,里头若是有水,就能在陆地上行动。(九州的河童,头上还有一层保护膜,水就在凹下去的小碗里荡来荡去的)但如果不小心让水倒出来了,河童就会全身脱力,被他曾经拖进水里的马群倒拖进马屋里。 河童喜欢黄瓜,讨厌猴子和温泉。经常喜欢摆出撒娇的模样(汗,真有日本特色),实际上却是极其残酷的。他们会将牛,马,和孩童引进自己居住的河里,从屁眼里把内脏挖出来食用(恶心!)。虽然也有说很喜欢相扑的河童,但大多数的最爱,还是内脏。 传说里喜欢相扑的河童,会将牺牲者投进水里,取出一种叫做“尻小玉(肛门球)”的东西吃掉。但也有一些无害的河童,若是相扑输了,就一次又一次的再挑战。但从晚上到早上一直不停的被挑战,也不能说是完全无害吧。若是有人故意输于他,河童会发出一种听起来很快乐的吱吱声,将同伴唤来一同相扑到清晨。九州的传说里,就这样被逼疯的人也不少。不管相扑是胜是负,被缠住的人有发疯的,失去意识的,大病一场的,发高烧的。总之,遇见河童不是件令人愉快的事。 河童出袭的危险日子和地点其实是有记录的。筑前(福岡県北部・西部) – 5月28日,因幡(鳥取県東部)、大隅(鹿児島県)東部、大隅諸島、奄美諸島等地域 – 6月1日,島原(長崎県島原半島東部)、五島(長崎県五島列島) – 6月15日左右,紀州(和歌山県全域、三重県南部) – 6月7日至14日,同样是在纪州的宇陀(奈良県東部),河童会在6月18日化为鱼身吸血。美濃(岐阜県中部・南部) – 6月16日,岩見(島根県西部) – 6月15日,壱岐島(長崎県壱岐全島) – 6月15日前后6天,天草(熊本県天草諸島) – 盆日,肥後(熊本県全域) – 土用の三が日,薩摩(鹿児島県西部) – 5月16日。这些是一年中最危险的日子,都是与祭水神的节日相关的。 关于河童的残酷,有许多不同的故事。 有一个武士,快到五反田桥的时候,在路上碰见了一个头上有只碗,皮肤呈土黄色的小孩。 这是河童吧?武士想着,便将它的头砍下来带回家了。 武士将河童的头放在卧室里,开始喝酒的时候,头突然开口说: “一声不响突然动刀子,真不是武士该做的事情。快去把我的头从五反田桥上扔下去。” 武士没有理它的话。 过了两天,武士因有急事,又要去五反田桥。正要经过的时候,一个身着蓑衣的男人一下子将武士的头砍下来,挑在刀尖就消失了。 那天晚上河童们开了个盛大的酒会。 当然,武士的头就放在了旁边。 各地都有关于河童的不同说法。 前面说过,河童喜欢黄瓜,也吃些茄子这样的食物。 所以,有些地方会在饥荒的时候将河童当作神来祭祀。 河童会将那些从富人变成穷人的人身上,取出他们的肝。 要知道,新鲜的人肝是河童最好的药物。 在九州,河童能像鸟一样飞起来,发出咻咻的叫声。 佐賀県田尻家的河童,全身被木乃伊似的绷带包了起来。他的眼和嘴都很大,状似饿鬼。 宮崎県宮崎市丸山町的药物温泉,深夜里总有河童光顾。 河童泡过的浴池,总是浮起一层毛发,奇臭难闻。 主人实在忍受不了,将汤倒出来的时候,竟然杀掉了一匹马。 同一宮崎県,与这个河童相好的寡妇即将生产。产婆到的时候,看到的竟是一整笼的河鱼。生完后,所有的人,鱼,和笼子都消失了。 同一宮崎県的外蟹町,河童若要引人与他相扑,便会用指甲去抓他的前身(不懂这里的前身是什么意思)。它白天躲在河里,到了夜晚才出来害人。 宮崎県児湯郡都農处,有个河童很久以前被猴子欺骗,手臂变成了猿臂。 因为河童常常因此报仇,每当耍猴人过河的时候,都会将猴子的眼睛蒙住。 近年比较炒得凶的“河童手的木乃伊”,正好证明了河童是猴子。 兵主部在这件事发生后,虽然很想整治一下它们,无奈他怕猴子,一见到猴子,自己就先僵硬了。 (这两句,多谢aki帮忙翻译^_^) 茨城県那珂郡大宮町岩瀬有这样一个传说。 真木家的先祖,曾在牛久沼捡到一段河童的指头。那天晚上,河童托梦与他,说若是将指头归还,便将一种秘密的药方传给他。 这个药方便是岩瀬万応膏。 同县的六会村,每年腊月初一都会做一种叫做卡皮塔利的饼。…
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オワレザカ – 负担坡
大阪府南河内郡发生了一起这样的怪事。 有一男人,夜晚通过一座山坡时,常会听到”帮我背吧,帮我背吧”的声音。若是回答”帮你背吧,帮你背吧”,自己的背后便会出现一根大松树干。 男人回到家,将背上的树干准备砍来做柴烧时,木头突然恢复原形,成了一只老狸猫,吓了他一大跳。 这样的故事,全国各地都听说过呢。 日语原文
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カジガババ – 打铁婆婆
種別=女妖,人兽 能力=吃人 出身=日本 高知県 野根一位叫做助四郎国延的铁匠,是打练乱れ焼刃(日本刀的种类之一吧,不知道中文叫什么)的好手。 这一家到了第三代,传到了养子重国手中。有一天,他的妻子去了一个叫做室户的地方取打刀的酬金,眼见天黑了,她却迷了路。一时涌上无数狼群,竟将她拖去吃了。从这以后,她的亡灵便成了恶鬼,不时袭击路途中的旅客,将他们拖去吃掉。 竹原春泉的描述里,打铁婆婆身着蓝衣,顶着头巾,带着尖尖牙齿与耳朵,骑着狼,一副吓人的模样。 日语原文
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オサキギツネ – 先狐
仙(先)狐 种别=灵物,狐妖 能力=附身 尾裂的先狐来自于中国的猫鬼(这什么啊,字典里查不到,但是中文里似乎也没有啊?@_@),是会蛊惑人心,附于人身的一种妖怪。 在《猫之历史,习性,与人类的关系》一书中,有这样的说明。 南北朝时代,猫科的附身邪魔[猫鬼]开始在世间出没,隋朝大业年间更是猖狂一时。日本的先狐便是起源于此,但比起猫鬼却更是残虐。 书中有一段如是说: 若是家中饲有老猫,每天半夜向猫鬼之神祭拜,心中想着某人的名字,猫鬼便会附在那人身上将他的内脏吃掉,在人不知鬼不觉地把他的财物搬到饲养的人家里。 猫鬼的蔓延渐渐成了社会问题,被当时的中国政府严厉打击。数千余家因此被连累诛灭,随着隋朝的灭亡,猫鬼的迷信也不见了踪迹。 到了这里,猫鬼便成了日本的先狐。在那个时代,的确是弄蛊者的最爱之一。 日文原文
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オオアワビ – 大鮑
オオアワビ – 大鮑 種別=【贝壳类】 特能=【呼风唤雨】 出身=【千葉県波花村】 这是个流传于上总国(现今千叶县)的古老传说。(是个笨女孩做傻事的故事) 这座村庄的神是一只与撑开的伞一般大的鲍鱼。向它投一颗石头,便会唤起一阵狂风暴雨。 有个少不经事的采贝女不小心触怒了鲍鱼神。它便在海上兴起惊天骇浪。渔人与采贝女们无事可做,只好聚集在海边的小屋里。聚会上,年轻的采贝女悄悄地爱上了其中的一位渔人。 女孩为了见她的心上人,便故意往鲍鱼神的海水里扔石头,引起大风雨,使得人们不能出海。 渔人也渐渐爱上了女孩,在风雨之日都和她相会。 女孩抑不住每天都想见到爱人的心情,有一天,偷偷的向水里扔了一堆石头。这样一来,连续好多天都是暴风暴雨。 女孩爱着的渔师终于忍不住,还是冲进了海里。女孩发现后,慌忙向鲍鱼神乞求原谅,风雨却始终是没有平静下来。绝望之余,女孩跃入海中,向爱人的方向游去。 她找到他的时候,两人都已精疲力尽,再也游不回岸边。他们相拥着沉入了海底,一日复一日,也没有人找到两人的尸体。 从那以后,鲍鱼神管理的海面上,风平浪静,从未起过第二次暴风雨。 佳佳的话:看完真是无语了,这个被爱情冲昏了头的笨女人,断了自己和身边所有人的生计不算,还害情人送了命,真是自作自受啊~~ 要是这就是所谓浪漫,我去撞墙好了。@_@ 日语原文
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ウヤウヤシ – 有夜宇屋志
这次讲的妖怪叫做有夜宇屋志。看到发音的时候忍俊不禁。若是存心恶搞,音译出来,就成了乌鸦乌鸦屎。:P 有夜宇屋志,2001年7月新发现,江户时代妖怪画卷中十二妖之一。身形如癞蛤蟆,在妖怪中都算得上是少见的丑八怪。长眼睛的地方凹了进去,实在是看不出来有没有眼睛。长有小小的鼻孔和牙齿。与其说凶残,倒是流露出一幅傻傻笨笨的样子。坑坑洼洼的皮肤浮肿的挂在身上,除了癞蛤蟆实在想不出更好的写照。 乌鸦乌鸦士成天一副毕恭毕敬的样子,竟是到了让人恶心的地步。感觉像是旧时对贪官献媚的商人的模样。 还有,茨城県的方言里,有「うやったい(乌鸦台)」一词。指的是湿粘粘让人有点恶心的感觉。虽然跟我们的乌鸦乌鸦士并无关联,却是看到它样子时最恰当的形容词了。 日语原文
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アヤヒメ – 绫姬
绫姬 别名 – Aya 种别 – 蜘蛛女 能力 – 编织,化作人形 出身 – 栃木県那須郡 那一天下着雨。一个正直的穷汉正从琵琶湖边经过,突见湖里有只大蜘蛛就要被卷入旋涡,怜悯心起,便救起了它。 几天后的雨夜里,一个没有了旅费,又无处可去的女人来到他门前,请求她收留一晚。这个温和的男人,自然是将这弱女子请进了家门。 恢复了精神的女子告诉他,自己的名字叫做绫。为了感谢他的收留,愿意帮他织布以作回报。只是,纺织的时候,请他不要看。 男人自然是爽快答应,绫便每日在房间里开始工作,纺出来的布,居然是美丽到闻名京城。慕名而来的顾客每天等在男人的屋前,已有新织品,便被喜滋滋的抢走。男人也一天一天走出了贫困,成了富翁。 过了不久,男人向绫求婚,而她也高兴的点了头。绫从早到晚的作业,从未显露过一丝厌烦。有时候,只是白天小睡一会儿,又回到了她的织机前。 钱是会改变一个人的性格的。男人的好奇心终究战胜了往日的约定,悄悄的打开房门,想看看绫纺织的样子。但他见到的,不是绫的温柔模样,而是一只硕大的蜘蛛。被吓坏的男人惊叫出了声。等到招来旁人再进房间的时候,已经不见蜘蛛或女人的身影,留下的只是未曾完工的织品,和桌上的一封信笺。 看到她留下的话语,男人的心顿时回到了从前的清澈。即使它是妖魔,这几年来也为他尽心尽力,而他却连一句温柔的话语也不曾回报。后悔的他,便踏上了往下野那须郡的路。 那里被蓝色填满的池中,站着的是他心爱的妻子。蜘蛛女告诉他,她其实是这座池子的主人,为了前世的因缘,今生成为他的妻子。但如今已经不得不分离。说完,绫便伤心的投入池中。 男人悲伤欲绝,大喊着即使自己变成蜘蛛,也要与绫在一起,却再也收不到她的回应。 绫的故事,是那须地区的女人捣臼时常唱的一首杵歌。在这里把她的名字用在蜘蛛女上,是因为她织出的布料无不精美,即使只是单色,也有种独特的光泽。莫非,她用的乃是自身的蛛丝? 与此相似的,还有许多同类的故事,比如说鹤之报恩等。 日语原文
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アカエイ – 红鳐
谢谢aki帮我找的日本妖怪志:)反正近日无事,一边看边一边翻译成中文,就当作练习荒废已久的日语好了:) 名字是胡乱取的,翻译也并非精确。莫见笑。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ アカエイ – 红鳐 身长约两千米(也有50-100米,或是一万两千米的说法),体形巨大的鱼类妖怪。生活在海里,但时而会浮上岸。 很久以前,一群渔民在海上遇到了暴风雨,在今日的千叶县野岛崎附近偶然找到的一个小岛上了岸。 这岛上荒无人烟,也不见任何有人住过的样子。却有许多从未见过的草木繁茂的生长,岩石缝中也能见到鱼儿游玩。 等到暴风雨过去,渔民们离开了小岛。再回头时,竟是再也不见岛的踪影。便有人说其实那并不是小岛阿,又有人发觉,竟是有些同伴与小岛一起沉没海中了。 再来,又有大漩涡在海中出现,遇难的船员慌乱中错以为它是岛而上陆停泊,却与船一同被卷入旋涡中。 古代资料中的画中,红鱼伸展的身体,镶着两只像眼睛的东西,像小岛一样漂浮在海面上。 现实中的确有红鳐一物。是属于鳐鱼类的软骨海鱼,头部与身体扁平,似五角形。长鞭状的尾巴上有一到三根毒刺,是它的武器。背部呈暗褐色,周边则是黄色。生活在日本中部以南的水域,被捕捉以作食用,也被唤为アカエ。 日语原文
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その瞬間の感動
附得今日的演讲稿子与所说的照片。以作纪念。题材是在日本的相片几枚。选得并不是我最爱,却是比较特别,能用言语描述的。 私が一番好きな日本の映画監督は、岩井俊二です。 どうしてっと聞かれたら、私はいつもこう答えます。岩井監督の映画は どの場面も 一枚の写真みたいだから・・・、そして、その一枚の写真から 監督の心が伝わってくるからだと・・・。私には 彼の映画が 一冊の写真集のように見えるのです。 私は大学卒業後、期待と不安を胸にだいて、日本へ発ちました。金沢で、英語の教師として 働くためでした。そして、その1年の間、暇をみつけては、小さいカメラを片手に よく旅に出かけました。札幌から広島まで 本当にいろいろな所に行ったものだと思います。日本で撮った写真を見ると、その時の私の気持ちや感動が鮮やかに蘇ってきます。それは、まるで、昔見た映画を見ているようで、もう一度感動したり、思い出し笑いをしたり・・・時には 新しい発見をすることもあります。 つなげれば 一本の映画ができてしまうほど たくさん撮った写真の中から、私の最も思い出深い写真を 5枚選んでみました。 先ず、一枚目は 広島の原爆ドームの写真です。 2003年7月13日、大阪国際空港に着いた私は、知り合ったばかりの同僚と一緒に、新幹線に飛び乗って 広島へ向かいました。今思うと、言葉もわからない 見ず知らずの国で よくこんな大胆なことができたものだと思いますが、忘れられない日本の第一日目のことでした。平和記念資料館を出てから 私達はしばらくだまったまま歩きました。中国で生まれた私は、小学校の授業に 第二次世界大戦の歴史があって、日本は中国を侵略した国だ と習いました。でも、広島を訪れてみて、日本にも 戦争の悲しみや苦しみがあったことを知りました。 気がつくと 目の前に原爆ドームがありました。原爆で破損したという悲惨な姿のドームを 呆然と眺めているうちに、ドームのまわりの小さな白い花が目に入りました。翡翠色の草の中で 活き活きと元気に咲いているその花を見て、この町も元気に生きているわ、と思いました。 二枚目は、東京での写真です。 友だちと銀座から六本木まで買物に行った帰り、原宿から新宿まで 一人で歩いたことがありました。 ニューヨークやパリや東京などの大きい都市は どこも同じだなんて、だれが言ったんでしょう。こんなにたくさん歩いても 東京には まだまだ違う顔があるのに・・・と思ったものです。ある日、銀座のあるデパートの前で その写真を撮りました。雨の日のたそがれ、にぎやかな交差点を 傘をさして急ぐ人々・・・ 雨の東京は いつもより魅力的に見えました。 三枚目は、私が大好きな京都の写真です。 にぎやかな東京もいいけれど、私はやっぱりゆったりした感じの京都が好きです。それに、行くたびに違うので、何度行ってもあきません。私が初めて京都に行ったのは、11月も 終わるころでした。今年最後とばかりに 赤や黄色の着物を着た嵐山の美しさは まるで一枚の絵のようでした。 金閣寺も 清水寺も 山奥の小さな寺も、みんなこの町の伝統を守っています。お寺ばかりでなく、博物館、祇園の舞台、古い手工芸館、どこへ行っても 京都の歴史と伝統が感じられます。ふと見ると、平安神宮の大門の欄干に腰掛けているおばあさんの姿がありました。おばあさんの前は大通りで 車がビュンビュン走っていて、背景で 大きな鳥居が 建っています。思わず、カメラのシャッターを押しました。写真の中のおばあさんと、車と、鳥居・・・ おばあさんも鳥居も この町の歴史を ずっと見守ってきたに 違いないと 実感した一瞬でした。 四枚目の写真は 私の手のひらの 桜の花です。 私が住んでいた金沢では、三月の終わりころから 桜が ちらほら咲き始めました。 桜を見たことがなかった私は、ある日、毎日通勤の途中の小さな神社で かわいいピンクの蕾を見つけた時、いったい何の花だろうと思いました。 1週間もすると、あちこちで その花が咲き始めました。そして、それが、初めて見る 桜でした。 私は 子どものようにはしゃいで、週末にいろいろな公園に行っては 桜の写真を撮りまくっていました。満開の桜は とても綺麗で まるで天国に行った夢をみているようでした。でも、目が覚めると、枝には花の姿がなく、代わりに小さい緑の葉っぱが出ていました。そして、歩道が落ちた花びらで 覆われていました。 真っ青な空にむかって 咲きほこる満開の桜の前で撮った、手の中の小さい桜の花の写真は、はかない美しさを 教えてくれました。 いよいよ最後の写真になってしまいました。 いろいろな所に行ったけれど、一番好きなところは やっぱり金沢です。 英語を教えるのは 仕事だったけれど、毎日かわいい子供達と会って、いっしょに遊べて、とても楽しかったです。そして、子供達が 見せてくれる くったくのない笑顔は 私にとって 何よりも感動的で 美しいものでした。だから、最後の一枚、5枚目の写真は、金沢の学校で生徒達と一緒に撮った写真です。 これで、私の写真の紹介は 終わりです。岩井俊二監督の映画のようには いかないけれど、本日の私の映画はいかがでしたか。